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2009年3月19日 (木)

40年来の友人の冥福を祈る。

時澤が逝った。昨日連絡があった。3時ごろ逝ったとのこと。見舞いにもいけなかったが急な旅立ちだった。肝臓が病んで逝った。周りをみると自分だけでなく皆歳をとったものだ。

彼とは20歳前からの友人だから40年になる。結婚する前は当時の流行であったビートルズにあやかってジャズバンドを編成して楽しんだものだ。彼はベースをやった。何も出来ない初めてからのスタートで毎日仕事を終えると『青少年ホーム』の練習場に通った。ギター、サクスホーン、トランペット、ドラムの編成で安月給の中でよくもお金を工面したものだ。

飲みにもよく行った。つけの効く飲み屋に先月分を返しに行ってその日の飲み代をまたつけて帰ってきた。そんな飲み方も若い頃はしたものだった。決して酔いつぶれることはなかった。

彼は独立して町工場を経営して順調に人生を歩んだ。ただ跡継ぎが出来なかったことが残念がっていた。男の子が欲しかったが女の子だけで直接事業を継承できないのがひとつのこころのこりだった。私も女の子だったが後には女の子でよかったなと語り合うことが出来た。

誰しもいづれは旅立つけれど、60半ばではまだ早い。私の妻も60前に逝ったけれど彼もまた早い人生を終えて逝った。病は誰にも襲ってくるけれど、時々医者に行って検査をすることが大切なことはだれもが分かっていることで、それなのにちょっとした間に襲われてしまう。彼も仕事一筋で頑張ってきた。その間に身体が病に襲われて次第に病んでいったのだろう。

自分もそうなのかも知れないが、まだまだ大丈夫と思っているうちに襲われてきているのかもしれない。意外と人間てそんなものかもしれない。

彼とは思い出があって、彼が元気な頃言ったいたことがある、『俺の命は友に助けられた命だ』とことがあると言っていた。

ことの起こりは、彼が仕事(当時夜勤があって)に出社してきたときに、『今日はおなかが痛い』と言うので『どのあたりだ』と聞くと『へその右側だ』という。『お前それは盲腸だぞ』といって、無理やり医者に行かせたところ本当に盲腸だった。かなり進んでいて大変だったとのことだった。当時は盲腸の手術も大変な手術で知っているだけでも何人か命を落としている。2週間ほど入院して退院した。今は日帰りで手術が終わるらしい。そんなことから彼は私に助けてもらった命だという。

いづれ私も逝くから待っていてください。またあの世で飲み明かそう。

南無阿弥陀仏・・・やすらかに。ありがとうやすらぎ。

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